標準必須特許ライセンスにおけるランニングロイヤリティの意義
ライセンスの透明性や予見可能性を高めるには、ホールドアウト戦略だけでは不十分です。パテントプールを通して実施される統一的なランニングロイヤリティは、実用的かつ持続可能な解決策となります。
文責:Christine Walmsley
標準必須特許(SEP)ライセンスの分野は、世界的に断片化の一途を辿っています。英国、統一特許裁判所(UPC)、米国など主要な法域間では、FRAND の解釈や適用をめぐるアプローチが、今なお異なっており、その結果不確実性が生じたり、商用ライセンスの慣行と訴訟のギャップが拡大する原因となっています。これらの枠組みの乖離が進むにつれ、業界が掲げる予見可能性と透明性のビジョンは、現実的に達成が困難になっています。しかし、このような状況だからこそ、明確さがライセンス体系に最も求められます。
ミスマッチの拡大が進むこうした状況は、昨今の司法判断が物語っています。例えば、Wilus 対 Asus(ドイツ)訴訟を担当した Schön 判事は、当事者がまず訴訟を提起し、その後に初めてライセンス交渉を行うケースが増えていると指摘しました。こうした傾向は、SEP エコシステムで敵対的アプローチが増えていることを示しています。一方、一部の SEP 保有者は、長期的なホールドアウトや、複数法域にまたがる紛争が予測される場合、先制的に英国で暫定ライセンスを提示する動きを見せています(Huawei 対 TP-Link 訴訟など)。こうした傾向から、商取引が訴訟戦略とどれほど密接に関係しているかがわかります。
それでもなお、ライセンス契約の大半は依然と して、法廷外で締結されているのが現状です。2025 年にシズベルの Wi-Fi 6 プールを継承し、今年の初めにはライセンシー 5 社を獲得した Wi-Fi マルチモードプログラムは、市場主導の透明性の高いソリューションのおかげで、リリース後早い段階で受け入れられています。これらのプログラムからは大事な教訓も得られます。すなわち、当事者がライセンス条件、ロイヤリティ体系、特許範囲を明確にすれば、より効率的に、公平な競争条件で合意に達することができるということです。
参加者は透明性を求めるも、現在の体制が阻害
業界全体で、ライセンサーも実施者も透明性を求めています。ライセンサーにとって透明性とは、自らの貢献度が一貫して正当に認められることを意味します。一方、実施企業にとって透明性は、コストの計画、競争力の評価、長期的な製品戦略を確信的に行うための基盤になります。適切に設計されたパテントプールではすでに行われていることですが、透明性を実現するには、特許リスト、ロイヤリティ料率、ライセンス条件、ライセンサーの名称を公開する必要があります。これらが明確なベンチマークを確立し、情報の非対称性を無くす要素となります。
しかし、ライセンスエコシステムの幅を広げても、業界の掲げるビジョンに完全に対応できるわけではありません。 異なる法制度、機密扱いの個別取引、曖昧な販売情報などにより、交渉が複雑化することも少なくありません。その結果、「オファーが FRAND 準拠であるか」、「既存の契約と比較して妥当か」など、当事者は評価に悩まされることがあるかもしれません。こうして透明性は、しばしば掲げられる目標でありながら実際には十分に実現されていないのが現状です。
ホールドアウトという行為は後に大きな負債を招き、ライセンスを不安定にする
当然ながら、透明性の実現にあたって主な障壁となるのが、ホールドアウトです。実施者が標準化された技術を製品に組み込んでいるにもかかわらずライセンス取得を何年も引き延ばした場合、以下の事態が予測されます。
まず、不可避な事態を引き延ばすことによって、実施企業は多額の過去分債務を抱えることになります。いざ交渉を開始しても、これらの債務が前向きなロイヤリティ料率の交渉に影を落とすことが少なくありません。当事者はいくらの過去分支払いで合意できるのか。このシンプルかつ強力な問いが交渉を左右すると言えます。
次に、一部の実施企業によっては、こうした過去の使用に伴う負担を利用して、不当に低額な一括清算の交渉に持ち込むことがあります。長年にわたりライセンスなしでの使用を積み重ねてきた結果、予測可能なランニングロイヤリティ体系に同意せず、割引された一括払いを主張するのです。多くの実施企業は、技術を採用する際に継続的なロイヤリティ支払いを見込んだ予算を立てておらず、むしろ、 交渉を遅らせることで最終的な支払い義務が軽減されることを期待していると考えられます。何年もの間ライセンスに対していかなる措置も講じてこなかったとしても、実施企業がスタックを計算できないというのは論点として理解しがたい面もあります。
最後に、一括払いの交渉では、過去の売上と売上予測を提供することが実施企業に求められますが、これが争点になることも少なくありません。予測と現実が一致することはほぼなく、データの正当性や正確性をめぐる争いが交渉をさらに長引かせることになります。これはライセンサーだけでなく、実施企業にも不確実性をもたらすことになります。標準化された技術を導入するうえでの真のコストを見誤ってしまうからです。
交渉開始の遅れ、多額の過去債務、サードパーティの販売データへの依存、と連なるサイクルこそ、予見不可能性の中核的要因であるとして、市場のオブザーバーから広く指摘されています。そして、それはまさにホールドアウトによって助長されているのです。
訴訟による機密情報の強制開示
交渉が決裂し、訴訟になると、透明性が想定と異なる好ましくない結果をもたらすことも少なくありません。訴訟の枠組みでは、ライセンサーは類似の契約を開示して FRAND であることを立証することが求められます。言い換えると、第三者(ほとんどの場合、競合他社)が関与するライセンスが審理の対象とされる可能性があります。
この緊張関係に対する対応は、各法域によって異なります。英国や米国では、一般に「attorney's eyes only(弁護士に限り閲覧可 )」に依存する傾向があり、機密情報の取り扱いは外部の弁護士に限定されています。一方、ドイツや UPC では、より広範な機密保持クラブがあり、被告側の社内人員が情報にアクセスできる場合もあります。SPT 対 Vivo 訴訟や Ericsson 対 Asustek 訴訟など、最近の UPC の案件は、この問題がいかに大きな論点であるかを浮き彫りにしています。たとえば、Apple は自社の機密性の高い商業情報の開示に制限を設けようと試みましたが、最終的に UPC の控訴裁判所は、特定の条件下でのアクセスを許可しました。
この強制開示は、すべての当事者に不安をもたらし、現行の体制に対する信頼を損ねるものとなっています。ライセンサーもライセンシーも、訴訟によって自社の機密扱いの売上高、販売予測、ビジネス戦略が開示されることを望んではいません。とは言え、訴訟は多くの場合、長期にわたるホールドアウトの結果として生じています。つまり、企業は自社の機密保持による利益を損ねるプロセスに、自らを事実上追い込んでいるのです。
パテントプールを通じた統一的ランニングロイヤリティが 3 つの問題を同時に解決
ランニングロイヤリティは、「透明性」、「ホールドアウト」、「訴訟による情報開示」という相互に関連した問題に対する明確な解決策を提示します。成熟したライセンス市場では、ランニングロイヤリティが一般的です。これは、いくつかの実用的なメリットがあるためです。
第一に、透明性や予見可能性を提供する点です。製品一台当たりのロイヤリティ支払いに より、実際の導入・販売状況を追跡でき、販売予測をめぐる推測や不確実性を排除できます。実施企業はコストの見通しを立てやすくなり、ライセンサーは市場の実態に沿った安定した収益が得られるようになります。
第二には、ランニングロイヤリティではホールドアウトのメリットがほとんどなくなる点です。ロイヤリティが使用状況に基づいて自然に増減し、過去分の支払いが交渉の中心的争点にならないことを実施企業が認識すれば、交渉開始を遅らせることに戦略的なメリットはほとんどありません。
第三に、ランニングロイヤリティに基づく比較事例は、裁判所や調停者が評価しやすいという点です。複雑な分析を必要としないため、訴訟の場で機密扱いの売上データを広範に開示する必要性が軽減されます。
こうしたメリットは、パテントプールによってさらに強化されます。多数のライセンス交渉の中心に位置するパテントプールは、ロイヤリティの枠組みに一貫性や公開性があり、またライセンサーの合意に基づいて運用されていることからも、統制や予見可能性の強化につながります。シズベルの Wi-Fi マルチモードプログラムは、このアプローチを象徴する一例です。同プログラムは完全な透明性(特許リスト、ロイヤリティの説明、規格条件、参加しているライセンサーとライセンシーの公開)を備えた形で開始され、安定性と信頼性に優れた市場の「基準点」となっています。
コネクティビティ技術が新たな分野へ拡大する中、透明性の高いパテントプールに支えられた統一的なランニングロイヤリティは、長年の課題への現実的かつ市場主導の解 決策を提供します。変革には時間を要しますが、明確で予見可能なロイヤリティ体系で誠実に交渉を進めることが、業界が長年求めてきた透明性の実現に近づく道となるのです。
Christine Walmsley は、Sisvel International(ルクセンブルク)のシニア IP 法務顧問です。
この記事に記載された見解は執筆者のものであり、必ずしもシズベルの見解を反映するものではありません。本内容は情報提供のみを目的としており、法的助言として解釈されるべきではありません。


